2026年09月03日
過ぎたるは猶及ばざるが如し
今 ネパールで巨大な土石流により 多くの国民が大切な命を奪われてしまっています。 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 私は若い頃 ネパールを観光していました。 実際は観光ではなく山岳地帯にあるラマ教のお寺を巡礼する目的での旅をしていたのですが あのような美しいヒマラヤ山脈が見えるところであのような悲惨な天災が発生するとは 当時は思いもよりませんでした。 ラマ教とはチベット仏教のことなのですが 異なる宗教だと誤解されている方も居られます。 でも実際は同じと考えて良いと思いますね。 ラマとは高僧を意味する言葉です。 私はルンビニからポカラ ポカラからカトマンズへと移動してました。 その中でもポカラにはとても澄んだ湖があり 背景にはヒマラヤ山脈がそびえたち とても美しい街なのです。 それ故に世界中から多くの外国人が訪問しています。 その大半はトレッキングや登山が目的のようですが そんな中で私はだだひたすらにポカラのチベット寺院などで瞑想していたわけです。 そんなチベット寺院には多くの修行小僧がたくさん居て とても賑やかな印象体験であったことを今でも覚えています。 あの少年たちは今 何歳になって何をしているのだろ〜なんて考える時が有ります。 あのまま大人の僧侶になったのかな〜 それとも厳しい修行に耐えかねて普通の一般的な大人になって結婚して子供を持っているのかな〜と そんなやんわりとした気持ちになりますね。 私の目的は中道というものを感じるために瞑想していたのですが ラマ寺院の縁側で一時間以上 瞑想していてもなかなか集中できなくて ついに足が痺れきってしまい 無理して立とうとした時につまずいて転げて足を擦りむいてしまいました。 そんな姿を 偶然 小坊主たち(小僧たち)に見られて笑われてしまいました。 でもそんな小僧たちと言葉が通じなくても遊び親しんだひと時がおかしくて楽しくてね… そのように小僧たちと一緒に笑いと喜びに満ち溢れているうちに私自身の心が安らいでいたことも覚えています。 でも彼らは偉いですよ。 だってチベット仏教で僧侶の道を歩むと言うことは原則 異性との恋愛は無論 性交して子供を持つことも結婚することも一生涯禁じられています。 その覚悟で出家してチベット寺院に入るわけですから 私には到底考えられません。 でもそれって本当に中道を悟って八正道を貫き解脱できる道なのかな〜なんて思っていました。 しかしながら仏教によると六道から解脱するためには そうしなければならないのですから それもひとつの生き方なのでしょう。 今世の私にはまだまだ歩む勇気もなく根性もないです。 私はあの頃 孔子様の教え「過ぎたるは猶及ばざるが如し」に心がけることに専念していました。 なぜなら私は若い頃は論語のそのことわざと仏教でいう中道がほば同じ意味であると思っていましたから… しかし その小僧たちに笑われてしまったことでそれらは異なることに気づかされました。 凡人が無理をしてはいけないということなのですよね。 中道とは歳を重ねてゆくにつれ 自然に感じ取ってゆくものなのでしょうね… きっと。 私は今世は在家で生きてきましたが ただ あの小僧たちの笑い顔やあどけなさを思い出すと 人生で最も大切なのは地位・名誉・財産による喜びなんかではなく 真に人との出会いによる思い出や感謝や思いやりや癒しや慈しみによる そのような素朴な喜びなのだと想える年齢になりました。 それだけを神仏はいつも人間社会で観ているのだと確信しました。 もちろん そのことはいろんな国で複数の高僧から煩悩から離れて無明と無常を悟るという仏教を学得して知ってはいましたが… そのことをネパールの小僧たちのふるまいや明るさなどにより体得させられ 実感しました。 あの世に持っていけるものはそれらの喜びしかないことも真に悟りました。

