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2024年12月30日
性善説と性悪説
皆様 性善説と性悪説という言葉を一度は耳にしたことが有ると思います。 これは古代中国における儒家の性善説を説く孟子と性悪説を説く荀子の言葉に由来しているのですが その意味を勘違いをしている人をよく見かけます。 人間は生まれながらにして善人または悪人ということではなく教育の重要性を語った学説であることが一般的なのです。 昔 あるお寺の荀子派の思想の住職が「人は皆 罪を持って生まれてきているので それを償うために修行をしなければならない。」と信者の前で説法をしておりました。 私も若かったので そうだろうと思って聞いていました。 確かに単純に理解すると お釈迦様(ブッダ)の教えに従うとすれば荀子の説が正しいのですが ただ解釈に問題があることを十数年後に中国は広州に有る光孝寺に居られた高齢で高僧な住職から正しく教わり その真意を悟りました。 その高僧から教わったのは今から36〜7年前のことになります。 孟子が正しいのか荀子が正しいのか それには当然に答えなどはないのですが 多くの専門家らによると孟子による性善説の本意は「世には確かに悪人がいるが 本来は憐れみの道徳感情を必ず備えており 人は善の性質を持っているので充実した教育をすればよい」ということからの学説であろうということです。 また一方 多くの専門家らによると孟子の性善説は誤りと語った荀子の性悪説の本意は「人間の性質そのものは元々悪であるので教育によってしっかりと善を修得するべきだ。」ということからの学説ではないかということです。 それで私は当時の光孝寺の高僧に性善説と性悪説について尋ねたところ「人間の性質を単に善悪で語っているものではないだろう。」と言っておられました。 お釈迦様の教え(原始仏教)によっても人を善悪で解釈している文言はひとつもないのです。 光孝寺の高僧によると この世の一部の人間には正しい教育を受けれなかったが由縁なのか? または出会う人間関係の由縁なのか? あるいは家庭環境や社会状況による由縁なのか? 確かに人の命をなんとも思わないような極悪非道な人間 また人を悲痛な思いに陥れたり 人に辛苦を与えたりする人間もいるけれども ほとんどの人はそんなことをする人ではないと言っておられました。 私も現代社会を観ていてそう思います。 高僧曰く「彼らは孔子の教えを崇拝する儒教者であるが 仮に仏教における教育としては 人は誰でも他人に善いことをした恩恵があるけれども…しかし他人に悪いことをした因縁もあるかもしれない。 善悪はそれらに起因する事柄に近い。 心の修行(因果応報などを悟り反省・懺悔すること)というものは教育が根底にあり 人への情愛や慈悲愛を与えるという性質は教育によって心に修めてゆくものである。」というようなことを語っておられました。 荀子の性悪説に気持ちを寄せるとすれば そのように理解するのが良いかもしれません。 また一方 孟子の言う性善説が間違っているというよりも どんなに悪いことをする人間でも心のどこかに必ず他人への憐れみや慈しみという善の性質を持っているはずで それを気づかせる教育さえすれば誰でも善人に戻れる・なれるという真意を含んでの性善説かもしれません。