2025年08月14日

バラモン(婆羅門)とは

現今もまだ 一部の悪質な新興宗教の教団に導かれて入会する若者が増えているようです。 そういった教団からの使者がクライアントの苦しい心を癒す言葉を巧みに使い 最終的には当宗教の会員にさせられ クライアントは資産や金員を投げ出したにもかかわらず 真の幸せを得ることなく苦しんでいる現信者や元信者が多くいるようです。 これは昔からそういった悪質な宗教にはまり込んでしまう人は多かったのですが そういった教壇に立つその教祖やその幹部は仏教またはキリスト教の信者でもあったりするようです。 私は真の仏教を日本をはじめ中国やインドで学び 修行し 経験を積み重ねて体得した仏教信者のひとりとして語りたいと思います。 では何故 人は仏教を主体にした悪質な新興宗教の一員の巧みな言葉に惹かれてしまうのでしょうか? それは原始仏教を知らないからだと思います。 例えば中村元先生がパーリ語で書かれた仏教の古文(原始仏教)を和訳された「ブッダの言葉」 数冊の原始仏教の和訳本が有る内 その中でも紀元前に残されていた最も古い仏教の実話を一冊の本に纏めている スッタニパータ(お釈迦様との対話で語られた多くの言葉)をよく読まれるとよろしいかと思います。 原始仏教 それは釈尊(お釈迦様)が約2550年前に語られた釈尊の真実の言葉(古代インド語)の数々を全世界の各国々が母国語で訳しています。 この訳本を修得すれば真(まこと)の仏教を会得できます。 現今 仏教を説いて導く僧侶や教祖の言葉や行為がこのスッタニパータから外れていないか否か まずそれをしっかり自分の目と脳裏で見極めることでしょう。 そうすれば仏教を主体(説法やお手本など)とした悪質な宗教の勧誘に惑わされることはないのです。 例えば日本においてのこの和訳本 スッタニパータの第三説の九にヴァーセッタという題目で書かれているブッダ(釈尊=お釈迦様)の言葉を読んでいきましょう。 ヴァーセッタというのはある青年の名前で ある日 彼は友人であるバーラドヴァ―ジャと「どうすればバラモン(婆羅門)になれるであろうか?」という議論をインドのイッチャーナンガラ村でしていたそうです。 彼らは一切の煩悩(人間には108個あると言われている汚れた欲望)をすべて断ち切って誠に人として正しい心で持って正しく道を歩むことに努力し専念していた者たちでありましたが 更に上人(徳の高い僧侶)であるその婆羅門という賢者(煩悩を完全に滅した覚者)になるべく行為を ああでもない こうでもないと まだ誠の賢者に成れていない弟子がいくら議論したところで埒が明かない場面が有ります。 それで 真理(智慧を完成し 世を知り 宇宙を知り 全ての苦しみから解放され 心が安定した悟りの境地)を得ておられるブッダことお釈迦様にその真意を聞くことにしたのです。 バラモン(婆羅門)とは僧侶のことなのですが 単なる僧侶ではなく真正しい心で正しい行為をする僧侶のことなのです。 そこでイッチャーナンガラ村の林に住んでおられたブッダ(釈尊)のところへ赴いたのです。 そこで彼らは釈尊に恭しくバラモンへとなる人格者の道を尋ねたのです。 それで釈尊は丁寧に前置きの喩えをいくつか述べながら 和訳本の618番目に語られている「人間のうちで司祭の職によって生活する者があれば かれは司祭者であって バラモンではないと知れ。 ヴァーセッタよ。」と諭しています。 司祭者とは僧侶や教祖や神父や牧師のことです。 その後にバラモンとなっている人格者の詳細を多く述べていて 和訳本の650番目には 人は「生まれによってバラモンとなるのではない。 行為によってバラモンなのである。」と説いています。 つまり家柄や家系の職業や地位や名誉によってバラモンとなるのではなく 苦しみを乗り越え 高い智慧を持ち 隣人や他人に苦しみを与えることなく 性愛や食欲に貪ることなく 怒ることなく 愚かな行いをすることなく 慎み深く人に接し 正しい心がけと生き方の戒律を守り 歓楽や快楽を捨て 欲望や愛執を断ち切り 煩悩を滅した者がバラモンであると説いています。 つまりお釈迦様は 出家者であろうが在家者であろうが 有職者であろうが無職者であろうが 聖職者であろうが一般人であろうが 僧侶であろうが凡人であろうが 貴族であろうが平民であろうが 家柄や職業に一切関係なく 日常 その者が歩んでいる正しい行為そのものによってバラモンであると言ってます。 つまり司祭者(僧侶や教祖など)というのは単にその人の職業であってバラモンで有るか否かは分からないということなのです。 人はこのことをよ〜く理解しておれば いかなる宗教でも その法を説くその僧侶や教祖らの生まれ育ちや言葉に魅了されたり惹かれることなく 尊師と呼ばれる彼らの日常の行為を観察します。 そうすれば決して悪質な聖職者や司祭者に魅了されたり惹かれることはないのです。 
  
posted by 浅田先生 at 03:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする