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2024年08月30日
因縁と四諦
仏教用語で因縁は分かっていても四諦というのを聞いたことが有りますか? ブッダ(お釈迦様)の真理の言葉(ダンマパダ)としてまず因縁はその名の通り 何かの原因が有ってその結果が有るという意味です。 人はこの世で他人などへの行為という原因によってその恩恵または報いという結果が生じるという教えが有ります。 他人に善い行いをすればその恩恵が現世または来世で与えられる喜び または現世と来世の両方で与えられる喜びです。 しかしながら他人に悪い行いをすればその報いは現世または来世でその苦しみを受ける または現世と来世の両方でその苦しみを受けるという 真に因果応報が必ず有ると説いています。 その他には 人はこの世で善い因縁の行為があってこそ死後 六道でいう良い領域(天上界など)に導かれ 悪い因縁の行為の由縁に悪い領域(修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界など)におもむいてしまうということをブッダ(仏陀=お釈迦様)は説かれています。 それともうひとつ ブッダ(仏陀=釈尊)の真理の言葉(ダンマパダ)の中に釈尊が残された真理の教えが有ります。 それは四諦という教えです。 四諦とは苦諦・集諦・滅諦・道諦 つまり般若心経に出てくる四字熟語こと苦集滅道です。 苦諦はこの世は苦しみだらけということです。 私たち人間は苦しみの世界(地球上)に住んでいるという教えです。 もちろん生きていれば楽しいことも嬉しいこともいっぱい実感するのですが それは一時的なもので 本当は苦しみの世界でのひとときの甘美にすぎないということを私たちに悟らせておられます。 集諦とは苦しみの原因は無明(何事も無常であることを知らない無知さ)と煩悩(強い欲望や妄執)に有り それらを悟れない知恵の低さから起こる人間の人や物への愛執(愛着)のことです。 もっとお金や宝石が欲しい もっと良い家や車が欲しい 恋人が欲しい 夫または妻が欲しい 子供や孫が欲しい そしてそれらをずーと愛して維持したいといったような愛執です。 滅諦とはその愛執への執着を断ち切るために 世は無常(自分の姿や形も他人の姿や形も含めて この世の一切のものは常に変化し生滅流転して永遠不変のものは何もない現象)であることを知りなさいということです。 人は必ず老いて病気になり死ぬわけですから どんなに楽しいことでも どんなに嬉しいことでも どんなに大金が有っても どんなに美貌が有っても それらの幸せを永遠に心や身体に持ち続けることはできず 他界すればそれらは必ず自分から離れてしまいます。 生きていて大金を持っていても心から喜べなくなり 美貌は消え失せてしまうということです。 道諦とは心身の苦しみからの解放は唯一 八正道=八聖道(正見・正思・正語・正業・正念・正定・正命・正精進)に心がけて生きるしか道がないという教えです。 要するに中道(何事にも一方に偏ることなく強い愛執や理念や思考を止めて 心地よい調和のとれた修練や温かい情愛を備え 中正を保ちながら生きる道)の精神を持って世の中を歩みなさいということなのです。 どうでしょうか… だがしかし なかなか八正道一筋で生きれている人を見かけませんし 相当難しい心の修行だと思いませんか? 釈尊は当時 本当の仏教(お釈迦様の真の教え=原始仏教)に出家した舎利弗尊者や目連尊者をはじめ 仏弟子や在家信者の庶民にそのように説法はされたものの おそらく凡人がそう容易く八正道を成し遂げられるとは思っておられなかったでしょう。 なぜならそれが完璧に出来ている人は死後には天上界へおもむけることは勿論のこと 利他愛と慈悲愛を重ねてゆけばゆくゆくは菩薩にもなれるような人なのですから。 しかしながら釈尊が我々庶民に願うことは初めからどうせ自分はできないと思う前に 年月がかかるかもしれないけれども 諦めずに日々少しずつでも良いからできてゆくように努力して八正道に近づきなさいということだと思います。 そうすれば必ず少しずつ苦しみを乗り越えてゆくことができ 安定した気持ちで余生を送ることができるようになるということを説いておられたようです。 そうすることによって終には解脱(苦しみや迷いの心から離れ去った心境)し 彼岸(煩悩や愛執のない世界または安楽の境地)への道が開かれるということを諭しておられるのです。