2023年01月10日

人生は思い出

令和5年を迎えましたが まだまだコロナ禍のご時世で日本も世界も大変ですね。 皆さま くれぐれもご自愛してください。 さて今回は人生の思い出について語りたいと思います。 私は人生は良き思い出作りだと思っています。 良き思い出作りと言っても単に懐かしむ思い出ではなく 人間としてこの世に命を授かり どれくらい貴重な思い出を受けたか または どのように貴重な思い出を残せるかが 生きていて最も大切だと思っています。 「あなたにとって大切な思い出はなんでしたか?」と普通に聞けば 家族と和気藹々と暮らせた日々 友人と遊び楽しく過ごした日々 生き甲斐の有る仕事に就けたこと 失恋も有ったけど楽しい恋愛ができたこと 国内や海外のいろんなところへ旅行できたこと 良き配偶者や子供に恵まれたこと そういった回答が多いのです。 だいたいは情緒あふれる家族愛や友人愛を語り 中には職場での懐かしい思い出を語られます。 しかし見ず知らずの他人から情愛をもらった思い出話や助けてもらった思い出話を耳にすることはほとんど有りません。 何故でしょうか… 親や兄弟姉妹 または友人から良くしてもらった思い出話は耳にするのですが 子供の頃に親切にしてもらった近所のおばさんや旅先で出会った見ず知らずの人に助けてもらった思い出などを記憶されている人が非常に少ないのです。 親がいつも仕事などで忙しく 一人寂しい時に遊園地に連れて行ってくれた近所のおじさん 悩み苦しんでいた時に食べ物やお金を恵んでくれた近所のおばさん 公園でひとり泣いているときに優しく声をかけてくれた見ず知らずのお姉さん とても悲しい時に情愛でもって辛い心を救ってくれた級友や先生 そういった昔に ひとときの心の癒しを与えてくれた人への感謝はなかなか思い出せない人が多いようです。 それは子供の頃や単なる近所の人や見ず知らずの人からのひとときの出来事だったかも知れませんが 私は二度と会うことのないその一瞬の人との出会いを良く覚えていて今も忘れられない大切な思い出として残っているのです。 何故かと申しますと それはその人への恩返しも御礼も一生出来ないからなのです。 家族や友人で有れば今 恩返しが出来ます。 でもどこか遠くへ行ってしまった近所の優しかった人や名も知らない通りがかりの優しかった人などは探しようもなければ生死さえも分からない。 そのことが残念なのです。 これから先 おそらく一生会うことは出来ないでしょう。 昔 私が中国の広州に住んでいた時 光孝寺というお寺によくお参りに行きました。 そこでそのお寺の住職と親しくなり いろんな教えを頂いたのですが ある日 その住職に「お寺でも神社でも参拝するときに、心願成就するとすれば、まず恩義のある人への感謝をしてから、個人的なことを祈りなさい。」と言われました。 「そしてその方に恩返しできないのなら、今度は君が見ず知らずの人に情愛を施し、食べ物を恵んであげなさい。 それが神仏さまが人間に求めている人の心なのだよ。」と言われました。 人が死んでからあの世に持って行けるものは そういった貴重なことも含めた思い出だけだと思っています。 四苦八苦しながら働いて そしてまた汗水流して働いて 一生懸命に育ててくれた親への感謝は勿論なのですが そういった隣人愛という見ず知らずの人からの救いや御恩を受けとこと また先生や級友などに助けてもらった情愛 それから湧きあがる感謝の気持ちもまた最も大切な思い出として忘れずに暮らしてゆくこと それを心に秘めながら 残りの人生を歩んでいる今日この頃です。
posted by 浅田先生 at 02:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする