2022年06月14日
人生思い通りにならず
人生 思い通りにしたいのは誰もが抱く心願成就ですね。 しかし思い通りにならないのが世の定めなのです。 思い通りにならないところへ私たち人間は落とされて日夜 修行しているわけですよね。 思い通りにならないものを なんとか思い通りにしようとすると裏切られます。 そこに失望が生じるでしょう。 資格的・金銭的・年齢的・家庭的・容姿的理由などで地位、名誉、好む職業、家、車、妻や夫、子供など欲しいものが手に入らない苦悩 そんな苦しみに日夜 悩み苦しみ そして切なく悲しくなるでしょう。 これを求不得苦といいます。 願っても祈っても叶えられない苦しみです。 でも不思議と多くの人間は叶えられるものだと信じて生きています。 努力に努力を積み重ねてゆけばきっと夢が叶うだろう そしてある日 叶えられることも有るのです。 そうなれば嬉しくて楽しくて この状態がいつまでも有ることを願うものなのですが でも…やがてその得たものがゆっくりと消失してゆきます。 なぜなら世の事象というものは無常だからです。 このことを深く真に悟った賢者はそれに耐えしのぶことが出来るのですが 一度得た幸せが消えてゆくことになかなかそう簡単には諦められない 納得できないのが世の人の心なのです。 ある日 身も心も捧げ 恋におちたある女が 容姿端麗なその男の言葉を信じ ある場所で彼を待ち続けておりました。 その男は既婚者でしたが妻と別れて「最愛なる君と一生を共に暮らしたい!」とその男は彼女に常々約束していました。 その言葉を信じた女は彼と駆け落ちする約束をし 彼が来るのを心弾ませながら落ち合い場所で待ちました。 でも夕方になっても夜になっても彼は来ませんでした。 騙されたことに気づきました。 彼女は人目もかまわず泣き崩れました。 やがて彼女は過去の自分を振り返りました。 私は自分で勝手に幸せがいっぱい詰まっていると信じていた風船をどんどん膨らませていたのではないか? でも儚く割れてしまった今 そこには何も入っていなかった。 そして彼女は自分自身が自分に騙されていたことを悟りました。 その後 彼女は尼になったのです。 人生一回限りと言って生きている方を度々見かけるのですが 仏教から言うとそれは間違いなのです。 人生一回限りではなく今世一回限りなのです。 今世思い通りにならなかったことでも来世は思い通りになっていることも有るのです。 ただ来世ではまた違った心願成就があるでしょうから それは来世では思い通りにならないかもしれません。 でも愛や努力は報われなくてもその熱意はきっとどこかの天に繫がっているように思います。 天との繋がりを持つには素直な心を持つ わらべになることが大事なのです。 愛が報われなかった! 努力が報われなかった! それは私もそうです。 が…しかし 思い通りにならなくても精進して生きてゆきましょう。 そうすれば必ずいつかは やんわりとした幸せが訪れる日々が来ることでしょうから…