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2020年02月16日
友人の死を知って
令和元年11月2日に、とても明るく愉快で優しい友人Fさんが「…永眠しました。」というお知らせが、Fさんの友人である私たち仲間に令和2年1月15日に突如とライングループの画面内に飛び込んできました。皆が相当なショックを受けました。Fさんの妹さんによる寒中お見舞いによる喪中はがきでした。「嘘でしょう?」「本当ならば悲しすぎる!」「信じられない…」「冗談はやめて!」「なにも考えられない…」「ふらふらになりそう…」「言葉が浮かばない…」「涙…涙…」などのコメントが殺到しました。その数ヶ月前には故Fさんの十数年にわたるいつもの主催で、同じ教室で心理学を学んだ私たち級友の集まりによる同窓会を開いたばかりでした。Fさんは元気満々に飲食を楽しんで、いつものように笑顔いっぱいに騒いでいたからです。「そんな急に亡くなるわけがない!」と皆がそう思っていました。しかし突然、お悔やみの知らせを聞いてとても驚きました。とても悲しくなり、とても切なくなり、辛くなって、胸が締め付けられ、苦しくなってきました。現実だと信じることはできませんでした。その同窓生たちが涙を流しました。そんな以前に亡くなられていたことさえ、20名近くいる同窓生のライン仲間たちは誰一人、全く知りませんでした。ただ私はラインにFさんからの明るいコメントが二か月間も入らないことはちょっと気にはなっておりましたが…まさか?と思いました。令和2年2月6日にFさんの妹さんが一心寺での納骨法要式に私たち仲間を呼んでくれました。その日はとても寒く、私たちが妹さんと一心寺内の本堂の前で出会った瞬時に小雪がチラッと優しく降り始めました。私はその降り始めた小雪を見て、Fさんは最後のお別れで私たち友人の姿を木陰よりひっそりと見ていてくれているのだと思いました。そしてFさんの甘美による喜びの涙が雪に変わり…それを何かとても貴い存在が知らせてくださっているにちがいないと信じました。令和初の新年同窓会で私たちに会えることをとても心待ちにしていたFさんの楽しみと、その再会の喜びを叶えることは出来なかったけれども…。まだ還暦をちょっと過ぎたばかりのご年齢でした。今の時代では、天国にゆくのは早すぎます。でもまだ正直、私はFさんの死が信じられません。というか、受け止めることが出来ません。いつか、ひょいとラインにFさんから「皆さん、同窓会しましょ!」「また美味しいものを食べに行きましょう!」って連絡が入りそうで…。原因は、くも膜下出血ということでした。人は80歳、90歳も生きる方が居られる一方、10歳台、20歳台で天国に旅立つ方も居られます。でも、どれも人の一生に変わりは有りません。要は人生の質だと思います。それはその人が決める事であって、けっして他人が決める事ではないでしょう。その同窓生たちの仲間ではいちばん年配のひとりでもあったFさんは高校での現役の英語教師をする一方、多忙な毎日にも関わらず、いつも私たちに尽力を費やして、いろんなことで私たちが困ることがあれば助けてくれて、本当にお人好しで心の優しい方でした。それでいてとても寛大で愉快な方でした。その分、相当な体力と気力を使っておられたのかなぁ〜と思います。私が心残りなのはそんな多忙なFさんにもっと、もっと協力して何か手助け出来ることがあれば、声をかけて手伝ってあげるべきだったかなぁ〜と後悔するばかりです。今想えば、想うほど、私は生前のFさんにとても感謝の気持ちがこみ上げてきます。今更は遅すぎるのですが…。私は親しかった友人や恩人の死を知る度に、何かを悟り、その故人に感謝し、何かを反省・懺悔しなければならないと思っています。それが人としての大切な労りであり、慈しみであり、心得であり、自分自身の心の修行だとも感じています。Fさんのご冥福をお祈りするとともに、残されたたった一人の妹さんへのお悔やみを申し上げます。