2019年02月06日

心のゆとり

2019年2月、今年初めてのブログを書きます。最近、とくに気になるのが心にゆとりがない人が多いことです。それは様々な職場を観察したり、いろいろな家庭状況のお話を聞いていたり、観察していたりすると、心の余裕がない行為が多いように思うのです。仕事がきつくて忙しいから暇がない…、生活費が大変だからそれどころではない…、子供が言うこと聞かないからイライラする…、色々考えていたら休日も楽しめない…、など理由は様々なのですが、だからと言って心にゆとりを持たなくて良いのでしょうか?私にはそれは言い訳にしか聞こえない時が有ります。体調がすぐれない、重い病を持っているというのであればまだ理解できるのですが、職場では辛苦が多いがなんとか頑張れる、飲食会では社交辞令もあるけれども仕事仲間や友人と笑い合える、なのに家に居るときは元気になれない、頑張れない、笑えない、そのような人を多く見かけるのです。職場では上司に厳しいことを言われ、家庭では家族からはいろんな要求をされ、期待され、身も心も疲れ果ててしまうことも有るでしょう。でもそのストレスが時には顔や行為に出て仕事仲間や友人に気を遣わせ、時には相手の心を傷つけ、家族や他人に八つ当たりしているのでは結局、自分の心も痛めてしまう結果にならないでしょうか?億劫な顔をして職場で働き、つまらない顔をして家庭で過ごしていても、誰も喜んでくれないと思います。今の現代社会、確かに人には人間関係をはじめ、多種多様な状況や事情からストレスがかかります。生身の人間ですから。でも…苦しいけれどもその苦しみに耐える、苦しいけれども苦しみの無い人間は不幸だと私は思うのです。なぜなら、苦しいことが有りそれに耐え抜いたからこそ今の喜びを感じられる、苦しいことを乗り越えられたからこそ今の幸せを感じられると私は体験・体得上、そう思うからです。怒りや、憤りの感情を抑え、出来る限り笑顔で振るまえるようにする、そうすればきっと家族や他人から喜ばれる人間になれると思うのですが…。そしていつかは心にゆとりの有る人間になれると思うのです。
posted by 浅田先生 at 03:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする