2017年07月10日

目先の事は無常

象山院へのご相談者に多い内容は、今年や数年以内に解決したい苦しみや悩み事が多いのですが、目先のことへの四苦八苦にあまりとらわれない生き方が大事だと思うのです。人生はどうせ80年そこそこ、良く生きても百歳までが通常です。とても長いように感じるのですが真理からいうと本当はとても短いのです。私の知っている後期高齢者の方々、私のところに通院しているご老人の患者さんらも含めて、皆さん、だいたい語られることは「人生、中年からはあっという間でした」「夢や希望はもうない」「一年は早く平凡な毎日」など。90歳に向かう方々の中には「死ぬのを待っているだけ」「生きていることがとても疲れる」「何を食べても美味しくない」「毎晩、睡眠に入るのが不安」といったような言葉です。生きていることは楽しくないのですか?とお聞きすると決まって皆さん「この歳になったらもう人生に喜びは感じられない」「楽しいこともなければ何かしたいこともない」と答えられます。希望が有るといえば「苦しまずに死ねることかな〜」とやや苦笑いしながら答えられます。そんなことを話しているうちに心に感じるのは、若い時や中年の時の夢や希望における人生行く末への四苦八苦はもはやこの歳ではほぼなくなったとはいえ、もちろん皆さんでは有りませんが、逆に人生の生き甲斐を無くされてしまっていて、だだ毎日なんとなく生きているという方々もとても多いのです。確かに私もこれからもっと年老いて美貌や健康や体力も更に無くなり、夢や希望のない老人になることは不安です。でもそれは人間で有る以上、避けられない宿命ですので受け入れるしかないのです。今50代、これから更に気力も体力も衰え、活力は失われてゆくでしょう。でも60代、70代、もしくは80代での喜びや楽しさを兼ね備えた生き方を考えておかないといけないのです。そうです、老人になっても生き甲斐だけは持って生きてゆきたいものです。そう思えば目先の事にとらわれている場合ではないのです。人の世は無常です。目先の執着への四苦八苦にとらわれるのは無明なのです。自分が残りの5年〜10年後に寿命を迎える老人になっても出来る最期の晩年に喜べる、楽しめる人生計画に専念すべきだと思うのです。
posted by 浅田先生 at 21:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする