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2013年09月13日
靖國神社
先月8月26日と27日の連日、東京都千代田区九段北に有る靖國神社に正式参拝してきました。若いころから東京へは何度か行きましたが靖國神社に参拝したのは実は今回が生まれて初めてなのです。私はこれまで日本のあらゆる由緒名高い神社仏閣を参拝していますがこの靖國神社に最も心を打たれてしまいました。胸が痛み心痛な想いになりました。涙がこぼれてしまいました。神殿を拝観して涙がこぼれたのでは有りません。いわゆる拝殿、本殿、霊璽簿奉安殿などの神殿の前では通常道理の神社仏閣を参拝するときの様に今日の生命と生活に感謝を述べ甘美な気持で敬意を表する気持ちにとどまりました。拝殿に向かって右手奥の方に遊就館といっていわゆる大東亜戦争を中心に日清戦争や日露戦争など、当時の映像や記録、戦没者の遺品や顔写真などを収めてある広大な博物館が建立されているのですが、この中に戦没者たちの遺書や両親や兄弟姉妹あるいは妻や子供たちへの手紙が展示されて有るのです。かなり多くの戦没者たちの遺書や手紙が展示されているのですがひとつ残らずそれら一枚一枚をきっちりと読んでいきました。父母宛てには「私は二十歳を持って君子自命をささげます。お父さん、お母さん、泣かないで、決して泣いてはいやです。ほめてやって下さい」「信夫の身は再びお母さんのもとに還らずとも、何時までもお母さんの心の中に生きて行きます」「永い間、色々とお世話になりました」「今日まで育てて頂きありがとうございました」「母上様、先立つ不孝をお許しください」など、妻宛てには「最愛の玲子、御身を常に見守っている」「短い間ではあったが、心からのお世話に相成った」など、子供宛てには「二人仲良く勉強をしてお母さんの仕事を手伝いなさい」「お前が大きくなって、父に会いたい時は九段(靖國神社)へいらっしゃい」「大きくなったなれば自分の好きな道に進み立派な日本人になることです」「優しくて人に可愛がられる人になって下さい」など、兄弟姉妹宛てには「姉さんの言う事をよく聞いて体を大切にしっかり勉強しなさい」や「幼い静ちゃんを一人残していくのはとても悲しいのですが許して下さい」など、そして遺書の末尾には再会の場所として「靖國神社で会いましょう」「さようなら」と書かれているのが多いです。戦友たちもまた靖國神社の神門を入った右2番目の桜の木の下で会おうとそれぞれに約束して神風特攻隊員たちは空に消えて行ったということです。それにしても二十歳を少し過ぎた程度の年齢で、また中には十八歳という年齢で昔の若者たちはこの様な強くて高い精神力でしっかりとした文章を書いていたことにはとても驚かされました。どれを読んでも現今の四十歳代以上の方の様な文章ばかりです。戦争という運命によって愛する家族と、または恋人と切り離された心境は私たちには想像がつかないほど辛く切ない人生だったに違いないでしょう。そして特攻隊員をはじめ、命覚悟の凄まじい激戦地に突撃してゆかねばならない前日前夜の気持ちはまさしく愛別離苦だったでしょう。悲しくて辛くて、ひとり夜中にトイレなどに駆け込み家族の写真を見ながら涙していたといいます。そんな戦地での生活の中でもひとときの間は戦友や仲間たちとその様な辛苦な想いを忘れるために歌を唄っては楽しみ、冗談を言っては笑い、酒や煙草をあてがってもらった時には喜び、また許された期間に遠方より家族が、そして母が面会に来てくれた時にはさぞかし嬉しかったことでしょう。でも私はこう想うのです。特に二十歳前後から二十歳代の戦没者たちは、それは…それは苦しくて悲しくて儚く短い人生で有ったでしょうが真の友情、真の情愛、そして真の家族愛を深く繋げたに違いないと…。孔子の言葉に「人は大きな苦難に遭遇してはじめてその人の真価がわかる」と有ります。つまり戦争という大苦難の時代に生き、戦場という苦難の境地に居るからこそ、その人の本当の心と姿が現れるのです。戦争という時代で人間同士が自分の家族や自国民の子供の命を守るために相手を射止めるのか、それとも見捨ててひとり逃げてしまうのかという二つに一つの生きる道しか与えられていないというなんとも心痛で悲惨な状況の下、そうです…そんな過酷で苦境の中だけれども、誠心痛な想いで生きていた彼らだからこそ、きっとお互いを深く信じ合い、慰め合い、労り合い、そして最期には隣人への真の友愛を知り、真の慈愛を知り、真の人間愛に慕っていたのではないかと思います。建前ではなく本音での情愛や慈愛、そして真実の人間愛が豊かに有ったと思います。現代社会でよく観る人間のかざりの心ではなく本当の心で人間同士が接していたことでしょう。靖國神社、私はまた参拝しようと思います。戦争を知らない私の世代の人々や若い世代の人々、そしてまだ一度も靖國神社に拝殿されたことのない人々も是非、遊就館にご訪問して頂きたいと思います。今回、私は靖國神社を参拝し、遊就館を訪問して悟りました。大東亜戦争を主にあの時代、私たちの祖先である戦没者たちが強い愛国心と悲哀を耐え忍んだ揺るぎない魂で持って自らの命を犠牲にして日本を守り、家族を守り、そして日本の子供たちを守って頂いたからこそ、今の平和な日本が有り、今の幸せな日本人が有るのだということを…。そしてその感謝の気持ちを決して忘れてはならないと強く胸に刻み込まれました。日本人である私は日本を守る為に戦場で尊い命を亡くされた外国人戦没者を含め、全ての戦没者の方々に深く感謝するとともに、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。