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2013年07月20日
熊さんの修験道
昨年の七夕の日に大峰山から滑落し、そのまま救急車で病院に担ぎ込まれたため、護摩御祈祷で訪れる予定の奈良県は吉野に有る修験道の根本道場、櫻本坊に行けなかったので一年後の先日、7月15日、月曜日の祝日に甥と熊さんと三人で大峰山登山信仰の修め業に行ってきました。櫻本坊の謂れは、大海人皇子がある冬の夜、山の中で満開の桜が咲き誇る夢を見た翌朝、夢から目覚めた皇子が実際に前方の山を見上げるとその夢のとおり、不思議にもその寒い冬に一本の桜の花が美しく堂々と咲いていたので非常に驚き、役行者の高徳の僧、角乗に夢判断を命じたところ、角乗が「桜の花は日本の花の王です。この夢は殿下が天皇の位につかれるよい知らせでしょう。」と答えたそうです。その後、壬申の乱に勝利した大海人皇子が天武天皇に即位できたので大変お喜びになり、その桜の木の下にひとつの寺を建立し櫻本坊と名づけ角乗を住職としたという由緒あるお寺なのです。さて、甥の車の運転で櫻本坊に着いたのが11時、寺務所でお護摩御祈祷の申込みをしたのですが前もって予約がいるとか(え〜!熊さんは予約は要らないと聞いたから大丈夫や!て言ってたのに〜?あぁ、想えば熊さんは昔から人の世話はとても気さくによ〜くしてくれるんだけど一番大事なところが抜け落ちるというおっちょこちょいさは相変わらずやからなぁ、それを忘れてたわ、笑)。ただその時ちょうど山伏修験道の僧坊さんたちの団体が四泊五日の大峰奥駈修行の最終日で櫻本坊にお帰りになったところでした。お寺の奥様が「良かったらあの修験行者さんらとご一緒にお護摩御祈祷なされませんか?」とおっしゃって下さったので幸運にも参加させていただくことになりました。ご住職らしき方が約40分余り護摩祈祷をされた後、お一人お一人の山伏さんたちのお名前を呼ばれて何やら大峰修行満了の証明書らしきものを手渡していたところ、熊さんが「あれ?あの人、去年、チュウが滑落したときに崖際まで助けに来てくれた龍王講の同じ登山修行グループの弁護士さんやわ!」と言い出して、気づくと見たことの有る人が他にもちらほら。私が滑落後に岩の急斜面で喘いでいたところ、そんな危険なところまで応急手当をしに来てくださったドクターの方もまた今回の櫻本坊主催の厳しく過酷な山伏修験道者の一人としてお勤めされておりました。今回偶然にもお会いしたお二人にしっかりと当時の救助活動への御恩のお礼を言ってお別れしましたが、後で考えると弁護士さんやお医者さんらがこのような厳しい修行に参加されているのがとても不思議でしたね。心身の人助けや医療をする人の中にはこれほどに自分自身の厳しい精神修行に毎年、何度も何度も勤めている方もいるのだなぁ〜と感動しました。辛苦で心を病んでいる人々や病気で苦しんでいる患者さんたちを救済するに於いては、このような修験道という厳しい修行を通してこそ、真の意味での人助けを行う心づくりが備わってゆくのだろうなぁ〜と心身医療従事者である私も再び悟らされました。今の時代にこういった人々や、そして先生と言われる方々がもっと増えてくれると有難いのですがねぇ。このような神仏信仰、心身修行の修験道には小学生の子供たちも父親と一緒に参加したりしています。今、世間では学校での虐め問題や青少年犯罪は深刻で、ある事件では16歳の女生徒が些細な理由から逆上し、ひとりの女友達を集団で殴り殺してしまうような怖ろしくも悲しい世の中です。私らの両親が子供の頃は戦前戦後の厳しく過酷な時代を生き抜いてこさされたためか、学校では修身教育がなされ、山や海で修験道のような教訓をさせられ、両親からの躾けは非常に厳しかったそうです。私が子供の頃の時代でも親の躾けはまだ厳しく、学校では先生から道徳を教わり、海や川での耐寒訓練だけでなく、聖山での登山信仰をもよくさせられたものでした。その他でも近所のおばちゃんやおっちゃんが人としてのふるまいを注意してくれたり、人間の行いの善悪を教えてくれたりもしたものです。ところが今の時代ではどうでしょうか?体育の時間でその生徒自身の不注意によるちょっとした擦り傷でさえ、両親などから学校側に過剰な責任問題を圧しつけられ先生が謝罪するような時代ですからねぇ。信じ難い過保護さです。しかしながら私が思うには、そのような現今であろうとも、子供たちを見守る周囲の大人たちは特に子供が幼少期の頃から小学生低学年の期間に集中して人の命の尊さ、または隣人愛や人助けの大切さをもっとしっかりと子供たちに教訓させてゆくことがとても大切なことだと思います。少なくとも人としての行為の善悪をしっかりと躾けてゆくことが、現今ふたたび必要ではないかと思う今日この頃です。