2013年02月21日
熊さんの恐るべき大峰山
長らくブログを書けなくてすみませんでした。実は今でも産経新聞や奈良新聞での記事がネットで検索すれば出てくる様に、平成24年7月7日、七夕の日、熊さんと和さんことシスターと私の甥の四人で龍王講という山伏行者さんたちの率いる大峰山登山信仰ツアーに参加しましたが大変な事故に遭ってしまいました。なぜ、和さんのことをシスターと呼ぶかって?ある霊感の強い貴い先生に前世では君は教会のシスターだったんだよ・・・と言われたそうな。さて、その日は朝から雷の大雨、まさに修行登山には厳しい日となりました。60人余りの団体の登山信仰ツアーで険しい山道を皆で「懺悔、懺悔!六根清浄。」とお経を唱えながら登りましたが、あいにく大峰山の山頂辺りではかなり厳しい大雨にさらされたのです。荒行の一角、大峰山の有名な行場、西の覗で逆さ吊りにされては「浮気はせんか!」「嫁さんを大事にするか!」などと先達行者さんらから大峰山の神仏様と不動明王様への誓願を要求され、肩からずれ外れて奈落の底に落下してしまいそうな頼りない白縄のロープに不安を感じながら、何を問われても逆らうことなく、数百メートルある谷底へ真っ逆さまに突き落とされそうな恐怖のあまり「はい、します! はい、しますー!」となんでも二つ返事。空手の修行で師範に体罰をされた時には押忍(オス)!と力強くその恐怖に耐え忍んだ私でしたがあの凄まじい恐ろしさには、さすがの忍耐強い私も早く引き上げてほしいあまり、根性も理性もなく「はい!わかりました!何でも誓います!」と中年の大人がまるで母親から叱られて素直に言うことを聞く子供のように即座にどんなことにでも誓ってしまった自分が今では情けなく成る今日この頃です。そんな・・・あんなで登山時の主な行場体験を凌いでいったのですが、あまりにも強い大雨で危険なため下山時には行場コースは中止となり安全なコースで下山することになりました。さて、ところがシスターの登山靴の底が破けて、その修理中に熊さん、甥、私らのグループが先の集団から逸れてしまい迷子になってしまったのです。然う斯うしていると最後尾に怪我人などがいないかどうか辺りをゆっくり見回りながら下りてきた龍王講の一人の先達さん率いる数人のグループと遭遇し、そこで10人足らずのグループになり、その先達さんの道案内を先頭に安全な下山道を探して下りることになったのです。しかし豪雨のせいで益々霧が濃くなり、到頭その先達さんまでもが道に迷ってしまいました。とにかく正しい麓の方角を目指して左右を迷いながら下山していたのですが、なにやら目的とは違う鐘掛岩付近の険しい崖際の道に差し掛かったのです。目の前には下山禁止の古〜い腐ったような昔の手造りの木製階段が有り、ところどころ木製の手摺も折れて無くなっていました。一瞬「え!こんな危険な崖っぷちのところを本当に下りるの?」と思ったのですが、私はニュージーランドでは氷河の山にも何度も登ったことのある、ある意味、熟練した元登山家のつもりです。なのでまったく恐怖を感じず先達さんの次に普通の階段を降りるように下りてしまったのです。と・・・その時「あれれ・・・!」と何かが目の前で起こり、突然に灰茶色ベースの視界しかない別世界に入りました。すぐさま私はなぜか夢の中でアクロバットをしているような状況に陥りました。「あれ?俺はいったいどうしたのだろ〜、下山していたはずなのにもう旅館について就寝しているのかな?それとも貧血かなにかで倒れたのかな?それにしても夢でも現実でもないようなこの奇妙な感覚と境遇で空中二回転、いや三回転してるような錯覚は一体何なんだろ〜」とそんなことを考えながら回転から止まらない私の身体は自然の流れにまかせていました。そしてようやく「あれ?俺、もしかしたら足が滑って山から落ちているのかな?」と思った瞬間、左の脇腹に車が衝突してきたような衝撃を受けたかと思うと息が止まり、甥の顔や家族の顔、そして昔私が幼少の頃、よく奈良のドリームランドに連れて行ってくれた近所の工場の優しいおっちゃんの顔、恩義のある昔の先生や知り合いのおばちゃんなどが順々に脳裏に現れてきました。つまり過去にたいへんお世話になり感謝の気持ちがいっぱいで日頃気になっているのだけれども今日その皆様方の行方が分からないため、当時の感謝の意を伝えられずそのままになっている恩師の方々らが出てきたのです。よく死ぬ前に走馬灯のように色々な人の顔が現われてくるといいますが、それは本当なんだと回転しながら感じていました。そんな時にようやく滑落していることを確信し「ああ、俺はこんな死に方をする今世だったんだ〜」と、なんとなく自分自身の無念さと家族に対しての申し訳なさの上に「これで皆とは永久の別れか〜」という切なさを感じながら、一方では身体の回転は一向に止まず、いったいどこまで落ちてゆくのだろ〜と不安と恐怖に駆りたてられながら、身をなるがままにまかせていました。ただ不思議なことに私の滑落状況を目の前にしていた登山仲間らが事故後に曰く、真っ逆さまに10メートルぐらい落ちるや否や、後は崖の斜面を恐ろしく速いスピードで滑落していってやがて見えなくなってしまったらしいのですが、私の感覚では非常にスローモーションだったことが今でもおかしな記憶として残っていますね。それに岩に何度も打つかっているのに滑落中は痛み一つ感じませんでした。長時間繰り返す回転からようやく岩場の上で止まった私は呼吸困難で喘いでいたことは覚えているのですが果して自分が生きているのかそれとも死んでいるのか分らない状態でただ必死に呼吸をすることだけに集中していました。ただ足腰が立たないので「脊髄とかも割れたのだろうな〜」「命が助かったとしてもこれからは下半身不随の人生を歩まねばならないのだろうな〜」と不安な気持ちでいっぱいでしたね〜。そうしているうちに夏だというのにたちまち身体が凍えるぐらいに寒くなり始め、やがてそれが治まりかけてきたかと思うと次は意識がどんどんと薄れかけ始めると同時にその場所がまるで三途の川岸のような風景に変わり始めたというか見え始め、やがてその川の水がこちらに溢れ流れ出してきたので「これはいけない!」と思い、溺れないように顔だけは上げておかねばならないと判断し、右肘を立てて精一杯、上半身を地面から突っ張った状態にしていました。目の前が真っ白のような状況で呼吸だけを整えて数十分経ったでしょうか、しばらくしてその崖の岩斜面に落ちた私のところにまず甥が自らの危険を無視して崖に這いつくばって下りてきてくれました。そして私のいる落下地点まで辿り着き必死になって介護し、携帯電話で助けを呼んでいたようです。やがて救助ロープを頼りに山岳ガイドさん、レスキュー隊、大峰山登山の同行グループの勇気ある皆さん方に助けられ、その場でお医者さんにも応急処置をしてもらい、安全な場所まで引き上げて頂き、担架とトロッコで麓まで運んで頂きました。意識朦朧状態のため、ほとんどその救助活動状況時を覚えていない私は待機中の救急車で奈良県橿原市の平成記念病院に入り、CT検査後は即座に奈良県立医科大学附属病院に担ぎ込まれて緊急手術。後々の現場検証では約70メートル以上滑落したということでしたが大峰山のその滑落現場である鐘掛岩付近をよく知る龍王講の方々やレスキュー隊の方々によると100メートル近く滑落していたということですのでマスコミも駆けつけ大騒ぎになったようです。しかしながら、お蔭様で血気胸と肋骨骨折ぐらいで済み、脳にも脊髄にも全く負傷なく、手足は単なる擦り傷程度でした。血気胸の処置が長引いたためICUとHCUで長期入院はしましたが、警察や大峰山管理関係者の方々曰く、あんなに岩場や鉄杭の多い危険な崖での滑落で本来ならば死亡、たとえ命が助かったとしても車椅子生活をも余儀なくされるような大滑落事故にもかかわらず、松葉杖をも使用することもなくこの程度の怪我で済んだことは奇跡だと言われました。七夕の日に雷の大雨ということも有り、龍神様や八百万の神仏様に助けられ、龍王講の御縁を頂いた皆様にも助けられ、正に九死に一生で新しい人生を与えていただいたと感謝しております。滑落時に私の救助・救援に携わるなどして大変お世話して下さった皆様と龍王講の皆様、本当に有難うございました。昨年10月からぼちぼち仕事にも復帰して全治四ヶ月を越え徐々に回復してゆきました。今では完治し、以前と全く変わらぬ元通りの普通の生活ができております。ちなみに後に甥に「滑落してようやく止まった岩場辺りに小川が流れていたやろう?」と尋ねましたら「全く川らしきものなんて無かったよ。」という回答でした。ではあの三途の川のような小川は空想?夢?それとも臨死体験?聖地の霊山だけあってなんとも摩訶不思議な体験でした。でももう二度とあのような恐ろしい体験はしたくないですわ。甥曰く、何といってもそういった凄まじい恐怖の一連の状況を最初から最後までしっかり見ていた熊さんの顔は真っ青で眼は一点、身体は硬直して震え上がっていたとか。まさに熊さんにとっても恐るべき大峰山で有ったようで、いまだにそのトラウマから抜け出せず山を見るのも見ずらいとか・・・。ごめんなさ〜い、熊さん。