2011年09月08日

「放浪の旅で感得したこと:中国編」

☆今世、自分の歩むべき道を感知したい人は是非中国へ!

和光同塵(その光を和らげ、その塵に同ず)。これは中国の思想家、老子(BC4〜5世紀半頃に存在?)による思想の言葉のひとつです。自分の智徳や知性というような光を和らげ隠して俗世間の中で従うこと、または溶け込んで暮らしてゆくことの喩えです。

老子は「人の心が汚れ世間が乱れるのは、人はあまりにも知識を求めすぎるからだ」と説き自我(出来る限りの愛と慈悲を人々に与えたいとか、多くの学問や教養を身に付け知性を磨きたいとか、磨かねばならない等をも含む)を捨て政治・経済のゆくえや人々の思想または教育や法律などといった人間社会にとらわれて議論や意見をするようなことに拘らず、ただあるがままに無為自然の道理に従い、自己の豊富な知識や優れた才能を表に出して世間を渡るのではなくて、そういったものを隠しながら生活することこそ陰徳であり上徳(自ら得た徳は徳として意識しないこと)であると説いています。

つまり「為すなくして為さざるなし」であり、民衆の社会に溶け込んで暮らすときには本当に助けを求めて苦しんでいる多くの人々に出会うだろうから、そのときこそはその上徳から現れる自分の智慧と能力を発揮し、ひっそりと密かに陰であらゆる苦しみを持つ人々を救ってあげられるという静かな生活の中にこそ、真実の人間の生き方があると教え、人間にとって最も大切なのだと説かれました。

孔子の言葉がまとめられた論語の中での教訓は礼と学と仁徳を備えた君子をたくさん育成しそういう君子達に国を任せればきっと天下は静まるだろうし平和な社会を築くことができる徳治主義の理念を試みているのに対し、老子は視野を広め慈愛のある寛大な気持ちを備える為とはいえ、学問による高等教育思想や礼節を守り道徳の実践を行うことなど無用なことであると説いています。

孔子が徳で治める人間社会を目指したのに対し、老子はあくまでも隠れた陰徳を人々に求めていたようです。老子の考えの中ではおそらくたとえ礼と学と仁徳を備えた智慧ある者が育成されようとも地位欲・名誉欲・財産欲は勿論、人から愛されたいというような欲までも完全に捨て去りさらに優遇や見返りを望まない修行者でないかぎり、ひとたびその智者の名が世間に大きく広まるとその智者はもはや真の君子にはなれないだろうし、たとえ高い人徳があるといえども多くの民衆から親しまれ愛されることに喜びと楽しみを抱き続けることへ執着するだけのただの博愛主義者や八方美人というような人格者にしか成りえないのだという様な人間の本質を誰よりも鋭く見抜いた思慮深い悟りを得ていたように想います。

お釈迦様は求不得苦(いくら努力しても、求めても欲しいものが得られない苦しみ)や五陰盛苦(肉体と精神に執着しすぎることから生ずる苦しみで色=肉体、受=周囲の刺激によって揺り動かされる感性、想=心に思い浮かぶ状況、行=行為や行動、識=経験や知識から解かる識別などにとらわれている)などによってもがき苦しんでいる人間たちの様子を観て煩悩の火が点いてうめきさ迷っていると語られました。

そのような人は愚かで悲しいということです。浮生、夢の若しです(はかないこの人生というものはまるで夢のようなものです)

地位や名誉を得てゆくことや世間の人気者になることはけっして悪いことではありませんがそれより、人に知られなくても和光同塵や仁愛の精神であの顔回のように生き抜くことのほうがどれほど貴く慈しみが有り、天界の神仏から真に親しまれ喜ばれる人間になれるであろうかという尊い教えを昔の真の聖者たちは今でも現代社会の私達に教えてくれている様に思います。

たえず煩悩に迷わされることなくしっかりと心眼を見開けば人は必ず真理の言葉の真相を胸でしっかり抱きかかえることができると思います。そしてひとりひとりが日々忍耐強く懸命に他人のために仁徳や陰徳を重ねられるように努力し実行してくれれば、その熱意と行動はきっと後生の人々にも受け継がれてゆくはずです。何世紀後に到るやも知れませんが和光同塵の行為にも心がける沢山の陰の仁徳者で満たされる平和で慈しみのある人間社会が築かれている様、望みたいものです。

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中国は山東省にある泰山(1545m)の登山中、龍門前にて
(孔子をはじめ昔から儒教・道教を問わず神仙宗教者たちによって
仙人修行が積まれてきた神霊なる聖地でもある)



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中国はウルムチ・トルファンより離れて天山山脈の広がる南山牧場にて遊牧民カザフ族のパオを背景に



posted by 浅田先生 at 12:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする