2025年02月25日

魂が身体から離れた?

実は私は51歳の時 奈良県の天川村にある大峰山の山頂から下山の途中で滑落しました。 その事故のニュースは奈良のテレビでも報道され 産経新聞等にも記載されました。 私の住所・氏名・年齢は勿論 職業等まで記載されましたので一部の知人・友人をはじめ 親戚や職場仲間から家族に電話が入ったようで恥ずかしいばかりでした。 現今 漸くネットではもうその事故の情報は消えているのでやっと安堵しています。 大峰山は修験道で有名な霊山なのですが 私は甥や友達二人と一緒に修験道体験のため ある大峰講というベテランの役行者ら約10名が指揮・指導する組織に参加しました。 参加者らは約50名 合わせて60名ほどの修験道ツアーになりました。 それは修験道を志す在家信仰として概ね白装束姿の人々をはじめ 軽装でも白衣をまとい 声を出して「懺悔 懺悔 六根清浄」と独特の御経を何度も唱えながら険しい山道を駆け上がる女人禁制の心身修行です。 その日は7月7日の七夕の日でした。 しかしながら当日の大阪出発は早朝から大雨で雷が鳴り響く日でもあり 危険なので一時は中止になるかもしれなかったのですが わざわざその日のために遠い他府県から来られた人も多く 現地では小雨になることを期待し せっかくなので決行することになったのです。 修験道の目的は山頂にある大峰山寺には金剛蔵王大権現が祭られており その御本尊に参拝する道のりです。 その道のりの順路で行場の「西の覗き」と呼ばれる場所があり そこで修験道最大の恐怖の捨身行があるわけですが 二人のベテランの先達らからロープを肩から巻いてもらい 約2メートル下の岩穴に祭られている不動明王を拝むために 頭を逆さに崖から真っ逆さまに吊るされる荒行です。 その崖下は数百メートル 合わせて三名の先達がそのロープを握りしめて しっかりと支えてはくれているのですが万が一 ロープが肩から外れたり 切れたりすると間違いなく落下して即死です。 過去にそういった事故が有って何名かが落下して命を落としている場所なのです。 そこで「親孝行するか!」「浮気はしないか!」と先達らにやや厳しく問い詰められます。 恐怖のあまり「はい 親孝行します!」「はい 浮気はいたしません!」などと誓わされるのは皆さんもテレビのドキュメンタリーなどで見たことがあるでしょう。 さて私はそこでは無事にその行は終えたのですが下山時にはまた大雨の雷でたいへんな天候になったため その60名のグループは険しい道は避け 安全な道で下山することになりました。 しかしその途中で友達の一人の登山靴が壊れてしまったので私が修理している間に 私と甥ともうひとりの友達 それに親子連れ三名と一人の先達がそのグループから外れて迷子になってしまったのです。 確かに酷い大雨の上 前方は霧がかかっていたことも有り辺りが見えにくかったのですが その先達はどうやら元々山道に疎い方のようでして 安全な帰り道が分からなくなったようなのです。 私たちは当然 大峰山の修験道で歩く山道には全くの素人ですので先達が導く方向について行くしかありませんでした。 あちらでもない こちらでもないと先達が道を迷っているうちにとうとう安全な下り道から外れてしまったようです。 とにかく藪に囲まれた険しい山道でしたが下っていくしかありませんでした。 それで漸く広々とした場所に出てきました。 しかしそこは谷の深い鐘掛岩というところでした。 先達は「やや危険ですが この大雨と雷の鳴り響く天候では早く下山しないと危険なので ここを下りてゆくしかありません!」というようなことを言って私たちを奮い立たせたのですが 直ぐ左手際には深い谷底の見える崖っぷちのところでした。 そこにはかなり昔に作られている苔で茂り腐ったような古い木造り階段(原則使用禁止の階段)しかなかったのです。 先達は勿論 滑りにくい足袋を履いておられました。 私たちに何度も注意を促しながら先頭に立ち その木造階段の下り方の手本を見せながらゆっくりとその階段を下り始めました。 先達は「慌てずにゆっくりと しゃがみながら下りてくださいよ!」と言いながら一段一段踏み込んで下山してゆきました。 次に続いたのが私です。 しかし数段下りると左手の木造手摺が1メートルほど折れて無くなっていました。 なので私はその1メートル先の手摺に手を伸ばしながら左足をも同時に一歩踏み下ろしたのです。 その時です! 私の目の前が全てグレー色の世界に変わりました。 そして暫くしてそのグレー色の世界から薄暗い世界に入り やがて真っ暗闇の世界に入っていったのです。 私は急に何が何だか訳(理由)が分からなくなりましたが 私の意識といいましょうか… 突然その日に宿泊する旅館でお風呂から上がり 夜が来て就寝している姿に変わったのです。 私は安心して「あ〜 良かったぁ〜 やれやれあの凄まじい天候から無事に下山できたんだなぁ」と思い安心して寝ていました。 しかしながら就寝中とはいえ何やらアクロバットをしているような不思議な感覚になっている自分に気づき 夢を見ているにしても随分と現実性の高い夢だなぁ〜と思っていました。 そしたら急に左胸に車がぶつかってきたような強い衝撃を感じたのです。 ただ夢の中だから全く痛くはなかったのですが ビックリして夢から覚めて現実に戻ったような感じにもなりました。 そうすればまたグレー色の世界に出てきたのです。 次に現れてきたのは昔 私が幼稚園児や小学校低学年生のころ 私をとても大事にしてくれた級友のお母さん その次に私をとてもよく可愛がってくれた実家の前の工場のお兄さん というように私が幼いころに毎回たくさんのお菓子や食べ物を与えてくれたり あちこちの遊園地に連れて行ってくれたり 映画館に連れて行ってくれたりと 昔の幼少の私をとても労わり可愛がってくれた心優しい人々ばかりが出現してきました。 今思えば大人になった私がその恩人たちにその頃のお礼も言えないままなのです。 まだご存命なのか? ご存命ならどこにおられるのかも知れず 幼少期から今日まで一度もお会い出来ることもなく 全く感謝しきれていない人々が走馬灯のように次々と現れるのです。 そして最後には数年前に亡くなった優しい伯母様(母の姉)が現れたのです。 そんな映像が流れ終わると今度は身体が大きく揺れている現実感を浴びせられました。 私はふと「あれ? 故人が出てくるということは これはもしかしたらあの世の入口? これはもしかしたら夢ではなく自分は実際 現実にあの崖から滑落でもしていてもうすぐ死ぬのではないか?」と気づき始めました。 そうすると次には何度も何度も回転して宙に浮いているような感覚になりました。 そう感じた時に急に呼吸が徐々にし難くなったのです。 私は夢の中で車にぶつけられたのではなく 現実に山肌の岩にぶつかったのではないか? やはり滑落しているに違いない!と確信したのです。 それに気づくまで私はまったく別の世界に居たのです。 後日よく考えてみると おそらく滑落中に私の魂は先に私の身体から抜け出して旅館に帰っていたのかもしれないと思いました。 皆さんはよく臨死体験だとか幽体離脱という言葉を聞いたことがあるでしょう。 実際には滑落している時間は数十秒間か1分間かの出来事だったでしょうね。 それぐらいの短い時間の中で一瞬にして魂は抜けていたのだろう〜と思いました。 つまり幽体離脱していたようです。 しかし私の印象としては滑落時間 それは1時間ぐらいあったような感覚でした。 なぜなら滑落の最中に私は旅館の温泉に入って就寝していたのですから… それにそれだけ多くのことを神秘的体験していたのですから… 不思議なことに今思えば滑落中はとてつもないぐらいに時間を遅く感じていました。 その上 身体が回転している状況を含め 何もかもがすべてスローモーションだったのです。 話は戻り 一連のそのような現状が終わった後 気が付いたら何かに引っ掛かって私の身体は滑落から止まっていました。 その時にやっと目の前がグレー色の世界から本来の山中の景色に戻ったのです。 そして走馬灯を見ている時間を含め それまで全く感じなかった痛みや呼吸困難という症状は 滑落というその現実を認識した途端に発症し始め とても息が苦しくなり かなり辛い呼吸困難に陥ってしまいました。 その状況を目の前で見た甥は顔面蒼白になりながらも まずその滑りやすい木造階段を下まで降りてゆき 途中からは危険を顧みずその鐘掛岩の崖ぶちを這いつくばって 現場に落ちた私を真っ先に探しに来てくれました。 先達からは危険だから探しに行くのは止められていたようですが やはり血筋だけあって我が身の危険を顧みず 助けにきてくれたようです。 そして私を見つけて携帯電話で私の滑落最終地点を先達らに伝えていたようです。 かなり時間が経ってから助けに来てくれたのはフル装備のレスキュー隊と医師です。 私は朦朧とした意識の中でまず医師に脊髄は大丈夫ですか?と尋ねました。 その医師は私に様々な医学的検査をしてから「脊髄は大丈夫!」と言ってくれました。 私はその言葉を聞いて安堵したのと同時に意識を失いました。 しかしながら私のその身体は血まみれで複数の肋骨骨折や肺挫傷による血気胸を患いました。 その後 トロッコに私を担ぎ込み下山させてから 麓に待機していた救急車で奈良県立医科大学附属病院に運ばれて手術を受け長期間入院しました。 数か月後 当時の先達たちにお聞きしたところ 山の事故の関係者らが私の滑落地点(鐘掛岩の起点)から測定した結果100メートルぐらい私は滑落したそうです。 「あの木造階段の下山時 俺はどうなったのか? なぜ滑落したのか?」と甥に聞いたら 左足から階段を滑って瞬く間に深い谷に落ちて行ったということでした。 まさに九死に一生の事故でした。 幸いなことは 大雨でしたので予め 背中にはバスタオルや着替えの服を入れたリックサックを背負っていたおかげで 岩に何度も背中を打ち付けたとはいえ 脊髄は守られたようです。 ただ もう二度と大峰山には登りたくないです( ´艸`)   
posted by 浅田先生 at 03:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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