2025年11月04日

どうせ人生は「あっ!という間」

還暦を超えた今 人生は早かったなぁ〜と感じる方は居られませんか? 若年層の方々はそんなことは考えない日々が多いかもしれませんが 50才前後を過ぎてから そう思う方は多いようです。 私もこの年齢になり 振り返ればまず後悔する事ばかり 「あの時にそうしておけばよかったなぁ」「その時にこうしておけばよかったなぁ」なんて後悔することが山ほどあります。 すべては後の祭りなのですがね… でも今思えば今の自分があることは元から当たり前にそうなっていたと思うようになりました。 なので後悔すること自体が愚かであり 現今の自分がありのままの自分であると理解するようになりました。 私のところへ来る相談者の多くも過去を振り返れば後悔することが多々あるとおっしゃる方が多いのですが 仏教によると元々人間は後悔して苦悩するのが当たり前に生まれているのでそれで当前のようです。 もちろん 若い時や中年の時に嬉しいこと 楽しいこと 快楽や快感を何度か体験して人生に喜びと生きがいを持たれた方は多いと思われます。 でも年月が経てばやがてまた辛いこと 寂しいこと 苦しいことが出てきたはずです。 ちがいますか? 「人生 此の方 生まれてからずーっと幸せに来れました」という方の言葉を稀に聞くことがありますが それは嘘でしょう( ´艸`) ご自身にそう言い聞かせて生きているだけのはずです。 まあ そうしてポジティブに生きてゆくことはけっして悪いことではありませんが 私から観ればこの人は本当は寂しい人?それとも辛い人?または切ない人?なんだな〜と思ってしまいます。 釈尊(お釈迦様)は「人生は苦である!」と説かれました。 私は若い頃はその意味が分かりませんでした。 なぜなら両親からは毎日きちんと朝昼晩と食べさせていただき ごく普通に教育を受けさせていただき 育てられましたし その上 若い頃は身体も丈夫で健康だし 良き友人や楽しい友人にもたくさん恵まれましたからね。 もちろん辛いことも悲しいことも体験して泣いたこともあるのですが すぐまた喜びの日々が戻ってきたりしていましたので。 ただ過去を思い出して後悔するたびにまた辛い日々がやってきて 苦しみの時期が巡りましたが 年月が経つとやがてまた喜びの日々が来て幸せの時期が戻ってきたからです。 でも中年を超えた辺りから近年では体力や気力が欠如し 身体の不具合も発症してくるこの歳ともなれば これから先の老年の人生をどう過ごしてゆくかが課題の毎日となりました。 ただ私は仏教を深く信じて生きているので ”人生一回限り” だなんて無知・無明なことは思っていませんので死を怖がることは皆無です。 むしろ真の世界(無我・霊魂・変化する姿・真の姿が存在する世界)に帰郷することへの喜びや楽しみのほうが大いに勝っているからです。 確かに地球上の世界 つまりこの浮世は怒りや哀れが有ったり 挫折感や失望感は有るけれども 逆に快楽や快感が有ったり 嬉しいことや喜びをたくさん味わえる生きがいのある世界です。 しかしながらそれらの年月は思えばただ短く 中国の盛唐の時代に居られた詩人:李白が語るようにまさに「浮生夢の如し」です。 この世の喜怒哀楽も想えば夢の様なもので正に儚いものなのです。 どんなに幸せを得ても苦しみは必ず付きまとう世界に人間は生きているので 釈尊が説かれたように どんなに大きな幸せ(地位・名誉・財産 あるいは 心地よい恋愛・幸せな家庭など)を得ても煩悩のあるこの世 修行の多いこの世に心を寄せて執着して生きている限り 結局は四苦八苦の道中 やがていつかはそれらの幸せは別の苦しみに支配されて また苦に至るということなのです。 それよりも執着を捨て 苦しいことをひとつひとつ乗り越えて 怠ることなく修行を忘れずに生きてゆくことが 終には真の生きがい 真の幸せを感じ取れるということですね。   
posted by 浅田先生 at 02:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする